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しんじゅふじん

真珠夫人

菊池 寛

「大阪毎日新聞」、「東京日々新聞」1920(大正9年)6月9日~12月22日

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 289,296 字 · 578 页

青空文庫

信一郎は、身支度をしていた為に、誰よりも遅れて車室を出た。改札口を出て見ると、駅前の広場に湯本行きの電車が発車するばかりの気勢を見せていた。が、その電車も、此の前の日曜の日の混雑とは丸切り違って、まだ腰をかける余地さえ残っていた。が、信一郎はその電車を見たときにガタリガタリと停留場毎に止まる、のろ/\した途中の事が、直ぐ頭に浮かんだ。その上、小田原で乗り換えると行く手にはもっと難物が控えている。それは、右は山左は海の、狭い崖端を、蜈蚣か何かのようにのたくって行く軽便鉄道である。それを考えると、彼は電車に乗ろうとした足を、思わず踏み止めた。湯河原まで、何うしても三時間かゝる。湯河原で降りてから、あの田舎道をガタ馬車で三十分、どうしても十時近くなってしまう。彼は汽車の中で感じたそれの十倍も二十倍も、いらいらしさが自分を待っているのだと思うと、何うしても電車に乗る勇気がなかった。彼は、少しも予期しなかった困難にでも逢ったように急に悄気てしまった。丁度その時であった。つか/\と彼を追いかけて来た大男があった。

「もし/\如何です。自動車にお召しになっては。