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しんじゅふじん
真珠夫人
菊池 寛
「大阪毎日新聞」、「東京日々新聞」1920(大正9年)6月9日~12月22日
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 289,296 字 · 578 页
「それが誰にとも分らないのです。」
夫人の顔に現れていた緊張が、又サッと緩んだ。暫らく杜絶えていた微笑が、ほのかながら、その口辺に現われた。
「じゃ、誰方に返して呉れとも仰しゃらなかったのですの。」夫人は、ホッと安堵したように、何時の間にか、以前の落着を、取り返していた。
「いやそれがです。幾度も、返すべき相手の名前を訊いたのですが、もう臨終が迫っていたのでしょう、私の問には、何とも答えなかったのです。たゞ臨終に貴女のお名前を囈語のように二度繰り返したのです。それで、万一貴女に、お心当りがないかと思って参上したのですが。」
信一郎は、肝腎な来意を云ってしまったので、ホッとしながら、彼は夫人が何う答えるかと、じっと相手の顔を見詰めていた。
「ホヽヽヽヽ。」先ず美しいその唇から、快活な微笑が洩れた。
「淳さんは、本当に頼もしい方でいらっしゃいましたわ。そんな時にまで私を覚えていて下さるのですもの。でも、私腕時計などには少しも覚えがございませんの。お持ちなら、一寸拝見させていたゞけませんかしら。」
もう、夫人の顔に少しの不安も見えなかった。澄み切った以前の美しさが、帰って来ていた。