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しんせい

新生

島崎 藤村

「東京朝日新聞」1918(大正7)年5月1日~10月5日、1919(大正8)年8月5日~10月24日

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 334,815 字 · 663 页

青空文庫

何かの碑面にでもありそうな漢文体の文句を暗誦しながら睡眠を誘おうとしているらしい兄はと見ると、枕を並べたその人の方からは何時の間にか高い鼾が聞えて来た。岸本はよくそれでもこの屋根の下に旅の着物を脱ぐことが出来たと思い、いろいろさまざまなことがそれからそれと胸に満ちておちおち眠られなかった。

朝になると、義雄はもっと東京の中心に近い町の方の宿屋へ通うことを日課のようにしていると言って、鞄をかかえて出掛けて行った。こんな不便な郊外で、電話も無いような住居では、何の事業を画策することも出来ないというのが兄の宿屋通いの趣意であるらしかった。子供等も学校へ出掛けた後で、家の内は静かになった。岸本はこれから当分の間毎日訪ねて来てくれそうな多くの客を待受けるような心持で、あちこちと家の内を歩いて見た。置捨てて行った自分の本箱の前をも歩いて見た。古い箪笥の前にも行って立って見た。園子の時代から残った八角形の柱時計はまだ同じような振子の音をさせて、旅から帰った彼を迎え顔に見えた。変色した唐紙でも、子供等に傷つけられた壁でも、実に一切のものを捨てる思いをした三年前の嵐の烈しさを語っていないものは無かった。