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しんじゅふじん
真珠夫人
菊池 寛
「大阪毎日新聞」、「東京日々新聞」1920(大正9年)6月9日~12月22日
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 289,296 字 · 578 页
それだのに、僅かしか残っていない歯の中から、またその目ぼしい一本が、抜け落ちるように、兄がいなくなる。父と兄とは、水火のように、何処まで行っても、調和するようには見えなかったけれども、兄と瑠璃子とは、仲のよい兄妹だった。母が亡くなってからは、更に二人は親しみ合った。兄はたゞ一人の妹を愛した。殊に父と不和になってから、肉親の愛を換し得るのはたゞ妹だけだった。妹もたゞ一人の兄を頼った。父からは、得られない理解や同情を兄から仰いでいた。瑠璃子には父の一徹も悲しかった。兄の一徹も悲しかった。
が、何よりも気遣われたのは、着のみ着の儘で、飛び出して行った兄の身の上である。理性の勝った兄に、万一の間違があろうとは思われなかった。が、貧乏はしていても、華族の家に生れた兄は、独立して口を糊して行く手段を知っている訳はなかった。が、一時の激昂のために、カッと飛び出したものゝ屹度帰って来て下さるに違ない。或は麻布の叔母さんの家にでも、行くに違ない。やっと、そう気休めを考えながら、瑠璃子は涙を拭い拭い、階段を上って行った。二階にいる父の事も、気がかりになったからである。