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しんじゅふじん
真珠夫人
菊池 寛
「大阪毎日新聞」、「東京日々新聞」1920(大正9年)6月9日~12月22日
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 289,296 字 · 578 页
崖がやゝ滑かな勾配になっている所は蜜柑畑になっていた。しら/″\と咲いている蜜柑の花から湧く、高い匂が、自動車の疾駆するまゝに、車上の人の面を打った。
「日暮までに、熱海に着くといゝですな。」と、信一郎は暫らくしてから、沈黙を破った。
「いや、若し遅くなれば、僕も湯河原で一泊しようと思います。熱海へ行かなければならぬと云う訳もないのですから。」
「それじゃ、是非湯河原へお泊りなさい。折角お知己になったのですから、ゆっくりお話したいと思います。」
「貴方は永く御滞在ですか。」と、青年が訊いた。
「いゝえ、実は妻が行っているのを迎えに行くのです。」と、信一郎は答えた。
「奥さんが!」そう云った青年の顔は、何故だか、一寸淋しそうに見えた。青年は又黙ってしまった。
自動車は、風を捲いて走った。可なり危険な道路ではあったけれども、日に幾回となく往返しているらしい運転手は、東京の大路を走るよりも、邪魔物のないのを、結句気楽そうに、奔放自在にハンドルを廻した。その大胆な操縦が、信一郎達をして、時々ハッと息を呑ませることさえあった。
「軽便かしら。」と、青年が独語のように云った。