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しんじゅふじん

真珠夫人

菊池 寛

「大阪毎日新聞」、「東京日々新聞」1920(大正9年)6月9日~12月22日

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 289,296 字 · 578 页

青空文庫

彼は周章てた。が、遉に間髪を容れない瞬間に、ハンドルを反対に急転した。自動車は辛く衝突を免れて、道の左へ外れた。信一郎はホッとした。が、それはまたゝく暇もない瞬間だった。左へ躱した自動車は、躱し方が余りに急であった為、機みを打ってそのまゝ、左手の岩崖を墜落しそうな勢いを示した。道の左には、半間ばかりの熊笹が繁っていて、その端からは十丈に近い断崖が、海へ急な角度を成していた。

最初の危機には、冷静であった運転手も、第二の危険には度を失ってしまった。彼は、狂人のように意味のない言葉を発したかと思うと、運転手台で身をもがいた。が、運転手の死物狂いの努力は間に合った。三人の生命を託した車台は、急廻転をして、海へ陥ることから免れた。が、その反動で五間ばかり走ったかと思うと、今度は右手の山の岩壁に、凄じくぶっ突ったのである。

信一郎は、恐ろしい音を耳にした。それと同時に、烈しい力で、狭い車内を、二三回左右に叩き付けられた。眼が眩んだ。しばらくは、たゞ嵐のような混沌たる意識の外、何も存在しなかった。

信一郎が、漸く気が付いた時、彼は狭い車内で、海老のように折り曲げられて、一方へ叩き付けられている自分を見出した。