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しんじゅふじん
真珠夫人
菊池 寛
「大阪毎日新聞」、「東京日々新聞」1920(大正9年)6月9日~12月22日
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 289,296 字 · 578 页
此の一行の外には、洋服を着た会社員らしい二人連と、田舎娘とその母親らしい女連が、乗り合わしているだけである。
が、あの湯治階級と云ったような、男も女も、大島の揃か何かを着て、金や白金や宝石の装身具を身体のあらゆる部分に、燦かしているような人達が、乗り合わしていないことは信一郎にとって結局気楽だった。彼等は、屹度声高に、喋り散らしたり、何かを食べ散らしたり、無作法に振舞ったりすることに依って、現在以上に信一郎の心持をいら/\させたに違いなかったから。
日は、深く翳っていた。汽車の進むに従って、隠見する相模灘はすゝけた銀の如く、底光を帯たまゝ澱んでいた。先刻まで、見えていた天城山も、何時の間にか、灰色に塗り隠されて了っていた。相模灘を圧している水平線の腰の辺りには、雨をでも含んでいそうな、暗鬱な雲が低迷していた。もう、午後四時を廻っていた。
『静子が待ちあぐんでいるに違いない。』と思う毎に、汽車の廻転が殊更遅くなるように思われた。信一郎は、いらいらしくなって来る心を、じっと抑え付けて、湯河原の湯宿に、自分を待っている若き愛妻の面影を、空に描いて見た。何よりも先ず、その石竹色に湿んでいる頬に、微笑の先駆として浮かんで来る、笑靨が現われた。