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しんじゅふじん

真珠夫人

菊池 寛

「大阪毎日新聞」、「東京日々新聞」1920(大正9年)6月9日~12月22日

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 289,296 字 · 578 页

青空文庫

とても動きません。」と、運転手は罪を待つ人のように顫え声で云った。

「じゃ、一番近くの医者を呼んで来るのだ。真鶴なら、遠くはないだろう。医者と、そうだ、警察とへ届けて来るのだ。又小田原へ電話が通ずるのなら、直ぐ自動車を寄越すように頼むのだ。」

運転手は、気の抜けた人間のように、命ぜらるゝ儘に、フラ/\と駈け出した。

青年の苦悶は、続いている。半眼に開いている眼は、上ずッた白眼を見せているだけであるが、信一郎は、たゞ青年の上半身を抱き起しているだけで、何うにも手の付けようがなかった。もう、臨終に間もないかも知れない青年の顔かたちを、たゞ茫然と見詰めているだけであった。

信一郎は青年の奇禍を傷むのと同時に、あわよく免れた自身の幸福を、欣ばずにはいられなかった。それにしても、何うして扉が、開いたのだろう。其処から身体が出たのだろう。上半身が、半分出た為に、衝突の時に、扉と車体との間で、強く胸部を圧し潰ぶされたのに違いなかった。

信一郎は、ふと思いついた。最初、車台が海に面する断崖へ、顛落しようとしたとき、青年は車から飛び降りるべく、咄嗟に右の窓を開けたに違いなかった。