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しんじゅふじん
真珠夫人
菊池 寛
「大阪毎日新聞」、「東京日々新聞」1920(大正9年)6月9日~12月22日
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 289,296 字 · 578 页
それが、彼女の愛を得る唯一の方法だと勝平は心の中で思っていた。それだのに、彼女に一旦与えた約束を、取り消す。男らしくもなく破約する。が、そうした心苦しさも、勝平の身体全体に、今潮のように漲って来る烈しい慾望を、何うすることも出来なかった。
階段を下りて、左へ行くと応接室があった。右へ行くと美奈子の部屋があり、その部屋と並んで瑠璃子に与えた部屋があった。
瑠璃子の部屋に近づくに従って、勝平の心には烈しい動揺があった。それは、年若い少年が初めて恋人の唇を知ろうとする刹那のような、烈しい興奮だった。彼は、そうした興奮を抑えて、じっと瑠璃子の部屋へ忍び寄ろうとした。
丁度、その時に、勝平は我を忘れて『アッ』と叫び声を挙げようとした。それは、今彼が近づこうとしたその扉に、一人の人間が紛れもない一人の男性が、ピッタリと身体を寄せていたからである。冷たい悪寒が、勝平の身体を流れて、爪の先までをも顫わせた。彼は、電気に掛けられたように廊下の真中へ立ち竦んでしまった。
が、相手は勝平の近づくのを知っている筈だのに、ピクリとも身体を動かさなかった。扉に彫り付けられている木像か何かのように、闇の中にじっと立ち尽しているようだった。