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しんじゅふじん

真珠夫人

菊池 寛

「大阪毎日新聞」、「東京日々新聞」1920(大正9年)6月9日~12月22日

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 289,296 字 · 578 页

青空文庫

が、何処にも傷らしい傷はなかった。が、それにも拘わらず、半眼に開かれている勝平の眼は、白く釣り上がっている。

「あゝ! こりゃいけねえ。奥様、こりゃいけねえぞ。」

そう云いながら、老人は勝平の身体を半抱き起すようにした。が、巨きい身体は少しの弾力もなく石の塊か何かのように重かった。

瑠璃子は、遉に驚いた。

「もし、貴君! もし貴君! 貴君!」

彼女は、名ばかりの夫の胸に、縋り付くようにして叫んだ。が、勝平の身体に残っている生気は、こうしている間にも、だん/\消えて行くように思われた。

おず/\顫えながら、座敷へ近づいて来た女中を顧みながら、瑠璃子はハッキリと少しも取り擾さない口調で云った。

「ブランデーの壜を大急ぎで持っておいで。それから、吉川様へ直ぐお出下さるように電話をおかけなさい! 直ぐ! 主人が危篤でございますからと。」

女中の一人は、直ぐブランデーの壜を持って来た。瑠璃子は、それをコップに酌ぐと、甲斐甲斐しく勝平の口を割って、口中へ注ぎ入れた。

勝平の蒼ざめていた顔が、心持赤く興奮するように見えた。彼の釣り上った眼が、ほんの僅かばかり、人間の眼らしい光を恢復したように見えた。