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しんじゅふじん
真珠夫人
菊池 寛
「大阪毎日新聞」、「東京日々新聞」1920(大正9年)6月9日~12月22日
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 289,296 字 · 578 页
それが、一夜限りの空しい夢と消えないで、実生活の上に、ちゃんとした根を下して来たことが、信一郎には此上なく嬉しかった。彼は絨毯の上を、しっかりと歩んでいた積であったが、もし傍観者があったならば、その足付が、宛然躍っているように見えたかも知れない。夫人と、美しい客間で二人限り、何の邪魔もなしに、日曜の午後を愉快に語り暮すことが出来る。そうした楽しい予感で、信一郎の心は、はち切れそうに一杯だった。
長い廊下を、十間ばかり来たとき、少年は立ち止まって、其処の扉を指した。
「此方でございます。」
信一郎は、その中に瑠璃子夫人が、腕椅子に身体を埋ませるように掛けながら、自分を待っているのを想像した。
彼は、興奮の余り、かすかに顫えそうな手を扉の把手にかけた。彼が、胸一杯の幸福と歓喜とに充されて、その扉を静かに開けたとき、部屋の中から、波の崩れるように、ワーッと彼を襲って来たものは、数多い男性が一斉に笑った笑い声だった。
彼は、不意に頭から、水をかけられたように、ゾッとして立ち竦んだ。
三
彼がハッと立ち竦んだ時には、もう半身は客間の中に入っていた。
凡てが、意外だった。