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しんじゅふじん

真珠夫人

菊池 寛

「大阪毎日新聞」、「東京日々新聞」1920(大正9年)6月9日~12月22日

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 289,296 字 · 578 页

青空文庫

/\と駈け降りて来るのであった。

「いらっしゃいませ。何うして、こう遅かったの。」静子は一寸不平らしい様子を嬉しさの裡に見せた。

「遅くなって済まなかったね。」

信一郎は、劬わるように云い捨てゝ、先に立って妻の部屋へ入った。

その時に、彼はふと青年から頼まれたノートを、まだ夏外套のポケットに入れているのに、気が付いた。先刻真鶴まで歩いたとき、引き裂いて捨てよう/\と思いながら、小使の手前、何うしても果し得なかったのである。当惑の為に、彼の表情はやゝ曇った。

「御気分が悪そうね。何うかしたのですか。湯衣にお着換えなさいまし。それとも、お寒いようなら、褞袍になさいますか。」

そう云いながら静子は甲斐々々しく信一郎の脱ぐ上衣を受け取ったり、襯衣を脱ぐのを手伝ったりした。

その中に、上衣を衣桁にかけようとした妻は、ふと、

「あれ!」と、可なりけたゝましい声を出した。

「何うしたのだ。」信一郎は驚いて訊いた。

「何でしょう。これは、血じゃなくて。」

静子は、真蒼になりながら、洋服の腕のボタンの所を、電燈の真近に持って行った。それは紛ぎれもなく血だった。一寸四方ばかり、ベットリと血が浸じんでいたのである。