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しんじゅふじん

真珠夫人

菊池 寛

「大阪毎日新聞」、「東京日々新聞」1920(大正9年)6月9日~12月22日

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 289,296 字 · 578 页

青空文庫

何と云う不思議な偶然だろう。そう思うと同時に、不思議な偶然の向うには、思いがけない幸福でもが、潜んでいるように思われて、先刻まで凋れかえっていた美奈子の心は、別人のように晴れやかに、弾んで来た。が、美奈子は顔を上げて、相手の顔を、じっと見詰める丈の勇気はなかった。車台の床に投げられている彼女の視線には、青年が持っている細身の籐のステッキの尖端だけしか映っていなかった。

あの方は、自分の顔を覚えていてくれるかしら。美奈子はそんなことを、わく/\する胸で、取り止めもなく考えていた。兎に角、妹が挨拶をした以上、自分の顔丈位は、覚えていて呉れるかしら。覚えていて呉れゝば、どんなに幸福であろうかなどと思ったりした。

電車は、直ぐ半蔵門で止った。もう、自分の家までは二分か三分かの間である。動き出せば直ぐ止る、わずかの距離であった。美奈子は、もっと/\此の電車に乗っていたかった。そうだ! 青年の乗っている限り、此の電車に乗っていたいと思った。

彼女は、女中をそれとなく先へ降して、神田辺に買物があると云って、此のまゝずっと乗り続けていようかと思ったりした。が、そうした大胆な計画をなすべく、彼女はあまりに純だった。