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しんじゅふじん
真珠夫人
菊池 寛
「大阪毎日新聞」、「東京日々新聞」1920(大正9年)6月9日~12月22日
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 289,296 字 · 578 页
もう再びとは、得がたい黄金の如き機会を、永久に失うような心持がした。その上、青年の勧めに、返事さえしなかったことが、彼女の心を咎め初めた。それに依って、相手の心を少しでも傷けはしなかったかと思うと、彼女は立っても坐っても、いられないような心持がし初めた。
一二分、考えた末、彼女は到頭堪らなくなって部屋を出た。長い廊下を急ぎ足に馳けすぎた。ホテルの玄関で、草履を穿くと、夏の宵闇の戸外へ、走り出でた。
玄関前の広場にある噴水のほとりを、透して見たけれども、その人らしい影は見えなかった。彼女は、到頭宮の下の通に出た。
青年の行く道は、分っていた。彼女は、胸を躍らしながら、底倉の方へと急いだ。
温泉町の夏の夕は、可なり人通が多かった。その人かと思って近づいて行くと、見知らない若い人であったりした。
が、美奈子が宮の下の賑やかな通を出はずれて、段々淋しい崖上の道へ来かゝったとき、丁度道の左側にある理髪店の軒端に佇みながら、若い衆が指している将棋を見ている青年の横顔を見付けたのである。
青年に近づく前に、彼女の小さい胸は、どんなに顫えたか分らなかった。でも、彼女はあり丈の勇気で、近づいて行った。