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しんじゅふじん

真珠夫人

菊池 寛

「大阪毎日新聞」、「東京日々新聞」1920(大正9年)6月9日~12月22日

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 289,296 字 · 578 页

青空文庫

が、他の世間の人々に対しては、愚かなあさましい兄であるが、その愚かさの裡にも、肉親に対する愛だけは、残っている。彼女は、彼女が時々兄を訪うときに、兄がどんなに嬉しそうな表情をするかを、覚えている。縦令、自分の現在の苦しみや、悲しみを理解し得る兄ではないにしろ、兄の愚かな、然しながら純な態度は、屹度自分を慰めて呉れるに違ない。少くとも、あの愚かな兄丈は、何時行っても屹度、自分に、あの人のよい、愚かしいが然し浄い親愛の情を表して呉れるに違ない。そう思うと、美奈子は急に、兄に会いたくなった。夜は十時に近かったがまだ湯本行の電車はあるように思った。もし、横須賀行の汽車に間に合わなかったら、国府津か小田原かで、一泊してもいゝとさえ思った。

部屋の扉を、そっと開けて、彼女は廊下を窺った。西洋人の少年少女が二人連れ立って、自分の部屋へ、帰って行くらしいのを除いた外には人影はなかった。

彼女は、廊下を左へ取った。その廊下を突き当って左へ降りると、ホテルの玄関を通らないで、広場へ出ることを知っていた。

彼女は、廊下を馳け過ぎた。階段を、一気に馳け降りた。そして、階段の突き当りにある、扉を押し開いて、夜の戸外へ、走り出ようとした。