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しんじゅふじん
真珠夫人
菊池 寛
「大阪毎日新聞」、「東京日々新聞」1920(大正9年)6月9日~12月22日
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 289,296 字 · 578 页
六
別に御自身でお出かけにならなくても。」瑠璃子は、妙に父の行動が不安だった。
「いや、一寸行って来よう。殊に此家は、何時差押えになるかも知れないのだから。預って置いて差押えられたりすると、面倒だから。」父は声低く、弁解するように云った。そう云えば、父が直ぐ返しに行こうと云うのにも、訳がないことはなかった。
が、父が車に乗って、その軸物の箱を肩に靠せながら、何処ともなく出て行く後姿を見た時、瑠璃子の心の中の妙な不安は極点に達していた。
六
到頭呪われた六月の三十日が来た。梅雨時には、珍らしいカラリとして朗かな朝だった。明るい日光の降り注いでいる庭の樹立では、朝早くから蝉がさん/\と鳴きしきっていた。
が、早くから起きた瑠璃子の心には、暗い不安と心配とが、泥のように澱んでいた。父が、昨夜遅く、十二時に近く、酒気を帯びて帰って来たことが、彼女の新しい心配の種だった。還暦の年に禁酒してから、数年間一度も、酒杯を手にしたことのない父だったのだ。あれほど、気性の激しい父も、不快な執拗な圧迫のために、自棄になったのではないかと思うと、その事が一番彼女には心苦しかった。