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しんじゅふじん
真珠夫人
菊池 寛
「大阪毎日新聞」、「東京日々新聞」1920(大正9年)6月9日~12月22日
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 289,296 字 · 578 页
が、母に対して、散歩に出ないと云った以上、ホテルの外へ出ることは出来なかった。彼女は、ふとホテルの裏庭へ、出て見ようと思った。其処は可なり広い庭園で、昼ならば、遥に相模灘を見渡す美しい眺望を持っていた。
美奈子が、廊下から、そっとその庭へ降り立ったとき、西洋人の夫妻が、腕を組合いながら、芝生の小路を、逍遥している外は、人影は更に見えなかった。
美奈子は、ホテルの部屋々々からの灯影で、明るく照し出された明るい方を避けて出来る丈、庭の奥の闇の方へと進んでいた。
樹木の茂った蔭にある椅子を、探し当てゝ、美奈子は腰を降した。
部屋々々の窓から洩れる灯影も、茲までは届いて来なかった。周囲は人里離れた山林のように、静かだった。止宿している西洋の婦人の手すさびらしい、ヴァイオリンの弾奏が、ほのかにほのかに聞えて来る外は、人声も聞えて来なかった。
闇の中に、たった一人坐っていると、いら/\した、寂しみも、だん/\落着いて来るように思った。殊にヴァイオリンのほのかな音が、彼女の傷いた胸を、撫でるように、かすかにかすかに聞えて来るのだった。それに、耳を澄している中に、彼女の心持は、だん/\和らいで行った。