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しんじゅふじん
真珠夫人
菊池 寛
「大阪毎日新聞」、「東京日々新聞」1920(大正9年)6月9日~12月22日
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 289,296 字 · 578 页
最初冷静だった夫人が、遺言と云う言葉を聞くと、急に緊張したり、時計を暫らく見詰めてから、急に持主を知っていると云い出したりしたことが、今更のように、疑念の的になった。疑ってかゝると、信一郎は大事な青年の遺品を、夫人から体よく捲き上げられたようにさえ思われた。従って、夫人の手に依って、時計が本当の持主に帰るかどうかさえが、可なり不安に思われ出した。
その時に、信一郎の頭の中に、青年の最後の言葉が、アリ/\と甦って来た。『時計を返して呉れ』と云う言葉の、語調までが、ハッキリと甦って来た。その叫びは、恋人に恋の遺品を返すことを、頼む言葉としては、余りに悲痛だった。その叫びの裡には、もっと鋭い骨を刺すような何物かゞ、混じっていたように思われた。『返して呉れ』と云う言葉の中に『突っ返して呉れ』と云うような凄い語気を含んでいたことを思い出した。たとい、死際であろうとも、恋人に物を返すことを、あれほど悲痛に頼むことはない筈だと思われた。
そう考えて来ると、瑠璃子夫人の云った子爵令嬢と青年との恋愛関係は、烟のように頼りない事のようにも思われた。夫人はあゝした口実で、あの時計を体よく取返したのではあるまいか。