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しんじゅふじん
真珠夫人
菊池 寛
「大阪毎日新聞」、「東京日々新聞」1920(大正9年)6月9日~12月22日
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 289,296 字 · 578 页
彼女は、故意にそうしているのかと思われるほどに、その華奢な身体を、信一郎の方へ寄せかけるように、坐っていた。
信一郎は、淡彩に夏草を散らした薄葡萄色の、金紗縮緬の着物の下に、軽く波打っている彼女の肉体の暖かみをさえ、感じ得るように思った。
彼女は、演奏が初まると、直ぐ独語のように、「雨滴のプレリュウドですわね。」と、軽く小声で云った。それは、いかにもショパンの数多い前奏曲の中、『雨滴の前奏曲』として、知られたる傑作だった。
彼女は、演奏が進むに連れて、彼女の膝の、夏草模様に、実物剥製の蝶が、群れ飛んでいる辺を、其処に目に見えぬ鍵盤が、あるかのように、白い細い指先で、軽くしなやかに、打ち続けているのだった。而も、それと同時に、彼女の美しい横顔は、本当に音楽が解るものゝ感ずる恍惚たる喜悦で輝いているのだった。其処には日本の普通の女性には見られないような、精神的な美しさがあった。思想的にも、感覚的にも、開発された本当に新しい女性にしか、許されていないような、神々しい美しさがあった。
信一郎は、時々彼女の横顔を、そのくっきりと通った襟足を、そっと見詰めずにはいられないほど、彼女独特の美しさに、心を惹かされずにはいられなかった。