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しんじゅふじん
真珠夫人
菊池 寛
「大阪毎日新聞」、「東京日々新聞」1920(大正9年)6月9日~12月22日
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 289,296 字 · 578 页
時は速い翼を持っている。が、此の三四分の時間は、電光その物のように、アッと云う間もなく過ぎ去ろうとしている。
試験の答案を書く時などに、時間が短ければ短いほど、冷静に筆を運ばなければならないのに、時間があまりに短いと、却てわく/\して、少しも手が付かないように、信一郎も飛ぶが如くに、過ぎ去ろうとする時間を前にして、たゞ茫然と手を拱いている丈だった。
然るに、瑠璃子夫人は悠然と、落着いていた。親しい友達か、でなければ自分の夫とでも、一緒に乗っているように、微笑を車内の薄暗に、漂わせながら、急に話しかけようともしなかった。
丁度、自動車が松坂屋の前にさしかゝった時、信一郎は、やっと――と言っても、たゞ一分間ばかり黙っていたのに過ぎないが――会話の緒を見付けた。
「先刻、一寸立ち聴きした訳ですが、大変仏蘭西語が、お上手でいらっしゃいますね。」
「まあ! お恥かしい。聴いていらしったの。動詞なんか滅茶苦茶なのですよ。単語を並べる丈。でもあのアンナと云う方、大変感じのいい方よ。大抵お話が通ずるのですよ。」
「何うして滅茶苦茶なものですか。大変感心しました。」
信一郎は心でもそう思った。