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しんじゅふじん
真珠夫人
菊池 寛
「大阪毎日新聞」、「東京日々新聞」1920(大正9年)6月9日~12月22日
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 289,296 字 · 578 页
「実は……」夫人は、微笑を含みながら、一寸云い澱んだが、「今晩、演奏が済みますと、あの兄妹の露西亜人を、晩餐旁帝劇へ案内してやろうと思っていましたの。それでボックスを買って置きましたところ、向うが止むを得ない差支があると云って、辞退しましたから妾一人でこれから参ろうかと思っているのでございますが、一人ボンヤリ見ているのも、何だか変でございましょう。如何でございます、もし、およろしかったら、付き合って下さいませんか。どんなに有難いか分りませんわ。」
夫人は、心から信一郎の同行を望んでいるように、余儀ないように誘った。
信一郎の心は、そうした突然の申出を聴いた時、可なり動揺せずにはいなかった。今までの三四分間でさえ彼に取ってどれほど貴重な三四分間であるか分らなかった。夫人の美しい声を聞き、その華やかな表情に接し、女性として驚くべきほど、進んだ思想や趣味を味わっていると、彼には今まで、閉されていた楽しい世界が、夫人との接触に依って、洋々と開かれて行くようにさえ思われた。
そうした夫人と、今宵一夜を十分に、語ることが出来ると云うことは、彼にとってどれほどな、幸福と欣びを意味しているか分らなかった。