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しんじゅふじん

真珠夫人

菊池 寛

「大阪毎日新聞」、「東京日々新聞」1920(大正9年)6月9日~12月22日

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 289,296 字 · 578 页

青空文庫

が、信一郎のそうした心遣いを、救けるように、舞台では今丁度幕が開いたと見え、廊下には、遅れた二三の観客が、急ぎ足に、座席へ帰って行くところだった。

夫人と並んで、広い空しいボックスの一番前方に、腰を下したとき、信一郎はやっと、自分の心が落着いて来るのを感じた。舞台が、煌々と明るいのに比べて、観客席が、ほの暗いのが嬉しかった。

夫人は席へ着いたとき、二三分ばかり舞台を見詰めていたが、ふと信一郎の方を振り返ると、

「本当に御迷惑じゃございませんでしたの。芝居はお嫌いじゃありませんの。」

「いゝえ! 大好きです。尤も、今の歌舞伎芝居には可なり不満ですがね。」

「妾も、そうですの。外に行く処もありませんからよく参りますが、妾達の実生活と歌舞伎芝居の世界とは、もう丸きり違っているのでございますものね。歌舞伎に出て来る女性と云えば、みんな個性のない自我のない、古い道徳の人形のような女ばかりでございますのね。」

「同感です。全く同感です。」

信一郎は、心から夫人の秀れた見識を讃嘆した。

「親や夫に臣従しないで、もっと自分本位の生活を送ってもいゝと思いますの。古い感情や道徳に囚われないで、もっと解放された生活を送ってもいゝと思いますの。