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しんじゅふじん
真珠夫人
菊池 寛
「大阪毎日新聞」、「東京日々新聞」1920(大正9年)6月9日~12月22日
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 289,296 字 · 578 页
青木淳が臨終にあれほどの恨を籠めた筈の時計は、夫人に依って、意味のない一個の壊れ時計として、炉棚の上に、信一郎から預かった時以来忘れられていたのである。
夫人から、そんなにまで手軽く扱われている品物に就いて、返すとか返さないとか、躍起になっていることが、信一郎には一寸気恥しいことのように思われた。
が、夫人のあゝした言葉や態度は、心にもない豪語であり、擬勢である、口先でこそあんなことを云いながらも、彼女にも人間らしい心が、少しでも残っている以上、心の中では可なり良心の苛責を受けているのに違ない。信一郎は、やっとそう思い返した。
小間使は、探すのに手間が取れたと見え、暫らくしてから帰って来た。そのふっくらとした小さい手の裡には、信一郎には忘れられない時計が、薄気味のわるい光を放っていた。
夫人は小間使から、無造作にそれを受取ると、信一郎の卓の上に軽く置きながら、
「さあ! どうぞ。よく検ためてお受取り下さいませ! お預りしたときと、寸分違っていない筈ですから。」
夫人は、毒を喰わば皿までと云ったように、飽くまでも皮肉であり冷淡であった。
八
信一郎は、差し出されたその時計を見たときに、その時計の胴にうすく残っている血痕を見たときに、弄ばれて非業の死方をした青年に対する義憤の情が、旺然として胸に湧いた。