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しんじゅふじん
真珠夫人
菊池 寛
「大阪毎日新聞」、「東京日々新聞」1920(大正9年)6月9日~12月22日
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 289,296 字 · 578 页
彼女は、一言も云わずに、ノートを信一郎の方へ押しやった。
信一郎は、夫人の必死的な態度に圧せられて、此の上何か云う勇気をさえ挫かれた。
二人は、二三分の間、黙々として相対していた。信一郎は、その険しい重くるしい沈黙に堪えかねた。
「如何です。此のノートを読んで、貴女は何ともお考えにならないのですか。」
信一郎の声の方が、却ってあやしい顫えをさえ帯びていた。
夫人は、黙して答えなかった。
信一郎は、畳みかけて訊いた。
「貴女は、青木君が血を以て書いた、此のノートを読んで、何ともお考えにならないのですか。青木君の云い草じゃないが、貴女の少しでも残っている良心は、此のノートを読んで、顫い戦かないのですか。貴女の戯れの作った恐ろしい結果に戦慄しないのですか。」
信一郎は、可なり興奮して突きかゝった。
が、夫人は冷然として、氷の如く冷かに黙っていた。
「奥さん! 黙っていらしっては分りません。貴女は! 貴女は此ノートを読んで何ともお考えにならないのですか。」
信一郎は、いらだって叫んだ。
「考えないことはありませんわ。」
彼女の沈黙が冷かな如く言葉そのものも冷かであった。