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しんじゅふじん
真珠夫人
菊池 寛
「大阪毎日新聞」、「東京日々新聞」1920(大正9年)6月9日~12月22日
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 289,296 字 · 578 页
妾は運命だとか胸騒ぎだとか云うような言葉は、大嫌いですよ。妾は徹底した物質主義者です。電車なんか、あんなに混んでいるじゃございませんか。さあ、乗りましょう。いゝじゃございませんの。自動車が崖から落こちても、死なば諸共ですわ。貴君、妾と一緒なら、死んでも本望じゃなくて? おほゝゝゝゝゝ。」
夫人は、奔放にそう云い放つと、青年が何う返事するかも待たないで、美奈子を促しながら、一台の自動車に、ズン/\乗ってしまった。
此の時の青年は、可なりみじめだった。瑠璃子夫人の前では、手も足も出ない青年の容子が、美奈子にも、可なりみじめに、寧ろ気の毒に思われた。
彼は、泣き出しそうな硬ばった微笑を、強いて作りながら、美奈子達の後から乗った。
「そんなにクヨ/\なさるのなら、連れて行って上げませんよ。」
夫人は、子供をでも叱るように、愛撫の微笑を目元に湛えながら云った。
青年は、黙っていた。彼は、夫人の至上命令のため、止むなく自動車に乗ったものの、内心の不安と苦痛と嫌悪とは、その蒼白い顔にハッキリと現われていた。臆病などと云うことではなくして、兄の自動車での惨死が、善良な純な彼の心に、自動車に対する、殊に箱根の――唱歌にもある嶮しい山や、壑の間を縫う自動車に対する不安を、植え付けているのであった。