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しんじゅふじん

真珠夫人

菊池 寛

「大阪毎日新聞」、「東京日々新聞」1920(大正9年)6月9日~12月22日

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 289,296 字 · 578 页

青空文庫

少年が茶を運んで来た後は、暫らくの間、近づいて来る人の気勢もなかった。三分経ち、五分経ち、十分経った。信一郎の心は、段々不安になり、段々いら/\して来た。自分が、余りに奇を好んで紹介もなく顔を見たばかりの夫人を、訪ねて来たことが、軽率であったように、悔いられた。

その裡に、ふと気が付くと、正面の炉棚の上の姿見に、自分の顔が映っていた。彼が何気なく自分の顔を見詰めていた時だった。ふと、サラ/\と云う衣擦れの音がしたかと思うと、背後の扉が音もなく開かれた。信一郎が、周章て立ち上がろうとした時だった。正面の姿見に早くも映った白い美しい顔が、鏡の中で信一郎に、嫣然たる微笑の会釈を投げたのである。

「お待たせしましたこと。でも、御葬式から帰って、まだ着替えも致していなかったのですもの。」

長い間の友達にでも云うような、男を男とも思っていないような夫人の声は、媚羞と狎々しさに充ちていた。しかも、その声は、何と云う美しい響と魅力とを持っていただろう。信一郎は、意外な親しさを投げ付けられて最初はドギマギしてしまった。

「いや突然伺いまして……」と、彼は立ち上りながら答えた。