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しんじゅふじん

真珠夫人

菊池 寛

「大阪毎日新聞」、「東京日々新聞」1920(大正9年)6月9日~12月22日

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 289,296 字 · 578 页

青空文庫

九

こうした機会を逸しては……」

そう心の中で思うと、信一郎の心は、籠を放れた鳩か何かのように、フワ/\となってしまった。彼は思い切って云った。

「もし貴女さえ、御迷惑でなければお伴いたしてもいゝと思います。」

「あらそう。付き合って下さいますの。それじゃ、直ぐ、丸の内へ。」

夫人は、後の言葉を、運転手へ通ずるように声高く云った。

自動車は、緩みかけた爆音を、再び高く上げながら、車首を転じて、夜の須田町の混雑の中を泳ぐように、馳けり始めた。

電車道の、鋪石が悪くなっている故か、車台は頻りに動揺した。信一郎の心も、それに連れて、軽い動揺を続けている。

車が、小川町の角を、急に曲ったとき、夫人は思い出したように、とぼけたように訊いた。

「失礼ですが、奥様おありになって?」

「はい。」

「御心配なさらない! 黙って行らしっては?」

「いゝえ。決して。」

信一郎は、言葉丈は強く云った。が、その声には一種の不安が響いた。

九

帝劇の南側の車寄の階段を、夫人と一緒に上るとき、信一郎の心は、再び動揺した。この晴れがましい建物の中に、其処にはどんな人々がいるかも知れない群衆の中へ、こうした美しい、それ丈人目を惹き易い女性と、たった二人連れ立って、公然と入って行くことが、可なり気になった。