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しんじゅふじん

真珠夫人

菊池 寛

「大阪毎日新聞」、「東京日々新聞」1920(大正9年)6月9日~12月22日

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 289,296 字 · 578 页

青空文庫

五

」と、大男は信一郎に云った。

「そうですか。それは大変御迷惑ですな。」と、信一郎は改めて学生に挨拶した。やがて、二人は大男の指し示す自動車上の人となった。信一郎は左側に、学生は右側に席を占めた。

「湯河原までは、四十分、熱海までは、五十分で参りますから。」と、大男が云った。

運転手の手は、ハンドルにかゝった。信一郎と学生とを、乗せた自動車は、今発車したばかりの電車を追いかけるように、凄じい爆音を立てたかと思うと、まっしぐらに国府津の町を疾駆した。

信一郎は、もう四十分の後には、愛妻の許に行けるかと思うと、汽車中で感じた焦燥しさや、いらだたしさは、後なく晴れてしまった。自動車の軽動に連れて身体が躍るように、心も軽く楽しい期待に躍った。が、信一郎の同乗者たるかの青年は、自動車に乗っているような意識は、少しもないように身を縮めて一隅に寄せたまゝその秀でた眉を心持ひそめて、何かに思い耽っているようだった。車窓に移り変る情景にさえ、一瞥をも与えようとはしなかった。

五

小田原の街に、入る迄、二人は黙々として相並んでいた。信一郎は、心の中では、此青年に一種の親しみをさえ感じていたので、何うにかして、話しかけたいと思っていたが、深い憂愁にでも、囚われているらしい青年の容子は、信一郎にそうした機会をさえ与えなかった。