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みなもとよりとも
源頼朝
吉川 英治
「朝日新聞」1940(昭和15)年1月~10月
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 306,118 字 · 613 页
「……?」
頼朝はふと、その眸を、廂ごしの空から自分の傍らへ振向けた。よよと、孤で泣いている者があったからである。
亀の前であった。
何で、彼女が泣くか、頼朝にはわかりきっていた。政子へ使いをやった事からに違いない。もっと彼女の胸に入って云えば、なぜ、馬の代の調達を、自分へ相談してくれるなり、自分の父良橋太郎入道へなり申し遣ってくれなかったか。
それを恨みともしているであろう。また、いくら素直な性格でも、女である以上、嫉妬もあろう。それを動作やことばに出せない質だけに、泣くだけしか、表現を知らないのである。頼朝の眼は、そう知りぬいておりながら、やや険をふくんで、邪慳に云った。
「何を泣いておるか。……男の胸、女子には汲めまい。泣きたくば、あちらへ行って泣け。……暑いっ。うるさいっ」
五
泣くな、と叱られれば叱られるほど、亀の前は、泣きぬれていた。
頼朝は、舌打ちして、
「この暑さに、蝉が啼くだけでもたくさんだ。……聞きわけのない」
と、起ち上がった。
亀の前は、その袂の下へ、初めて小さい声で、咽びながら訴えた。
「しばらくの間、里方へ帰らせていただきまする」