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みなもとよりとも
源頼朝
吉川 英治
「朝日新聞」1940(昭和15)年1月~10月
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 306,118 字 · 613 页
断崖
一
と、侮りきっていた。
そこへ山上から急雨のような夜襲だった。闇のなかに狼狽をきわめた平軍は、われがちに潰走し、ほとんど一矢も射なかった程である。
「討ちもらすな」
「ひとりも城戸の内へ生かして帰すな」
急追して熄まない源氏の人々は口々にそう云い合った。逃げるを追って、須磨の方へ駈け下り、そのまま敵の本拠たる西の城戸へ、直ちに迫ってゆく気であった。
「長追いすな。みな集まれ。みな集まって一息いれよ」
義経は、逸る人々を呼びもどして、敵の捨て去った砦の一ヵ所にまとまった。
もう夜半に近い。あすは晴天であろう、星の空は冴え返っている。時は二月初旬、ここらの高地は海風がぶつけてくる、山風もふきおろす。すこし立っていると体がわなないてくるほど寒い。
「篝を焚け。篝を」
この数日は戒めていた焚火をゆるした。思いきった焔が数ヵ所から揚がる。将士の顔はみな赤々と照らされた。
その間に義経は、重忠、実平などの重なる将たちと何ごとか手短に議していた。
ここに立って義経が、改めて一同に云うには、
「敵の逃げ足が早かったのは、あながち敵が弱いためばかりとは思えぬ。ここで戦うよりは、一ノ谷の要害に拠って、存分、戦ったほうが利と考えたからであろう。