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みなもとよりとも

源頼朝

吉川 英治

「朝日新聞」1940(昭和15)年1月~10月

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 306,118 字 · 613 页

青空文庫

四

「なに。敵が遽にひきあげて行くと?」

いぶかしげに、外へ出て見ると千葉介常胤も、上総介広常も、北条父子も、みな幕を払って、闇の中に佇んでいた。

「さては誰か、軍令を犯して、先駈けした味方があるとみゆる。ともあれ、すでに合戦となったからには、猶予すな」

頼朝は、全軍へ向って、進撃の令を下した。

「誰だ、味方を出しぬいて、先へ渡った者は」

憤激した人々は、争いあって、駒の群れを富士川の流れに駈け入った。

しぶきの列を破って、洲へ躍りあがる。また、流れへ突き入って、真っ白なしぶきを浴び合う。

本流へかかると、元より駒の脚も届かなかった。

一団、また一団。馬は黒々と、先を競って、白波を揉みながら泳ぎ渡ってゆく。

「ふしぎだぞ!」

流れの中で、武者たちは、話していた。

「――一筋の防ぎ矢だに来ない」

「彼方の岸辺にも、敵の影が見えぬのは何故か」

「張合いもない事だ」

しかし、それだからとて、他の戦友におくれていいとは誰も思っていないらしい。一騎が先へ出れば、すぐ一騎が追い抜く。また他の二、三騎がその先を取る。余りに急いで、鞍から身を浮かし、激流に攫われかける者もある。