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みなもとよりとも
源頼朝
吉川 英治
「朝日新聞」1940(昭和15)年1月~10月
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 306,118 字 · 613 页
同根相剋
一
兵糧もつづきかねます。兵力も不足で――」
と、鎌倉へあてて、頻々と、窮状ばかり訴えてくるという始末。
義経にはきびしい頼朝も、範頼には甘すぎるほど寛大だった。自身で仮名消息こまごま認めて、誡めたり、励ましたり、泣く子をあやすように督戦し、そのための評議も度々ひらいて、東国の船をあつめ、兵糧をつみ込ませ、範頼の助けに送ろうと用意していた。
正月となる。文治元年。
周防にいた範頼は、平家の圧力に居たたまれず、赤間ヶ関へ移動した。
ここを基地として、平家を攻めるつもりだったが、ここでも兵船が手に入らない。また、糧食もつづかない。
「何たる拙!」
部下さえ感じ出した。範頼の作戦は根本から過っていた。というよりも無方針に近い。
屋島を本拠に、平家は、瀬戸内海の制海権を占めている。それに対して、いたずらに沿岸各地をさまよい、敵の誘導戦術にのって、九州まで南下してしまい、気がついた時は、京都との連絡を、うしろの中国路で敵に見事遮断されていたのである。
「無能」
という衆評が、誰いうとなく源軍のあいだに漲った。
「故郷がこいしい」
大びらに云う者がある。和田義盛すら、鎌倉へ帰ろうとした。