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みなもとよりとも

源頼朝

吉川 英治

「朝日新聞」1940(昭和15)年1月~10月

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 306,118 字 · 613 页

青空文庫

一羽の雁

一

政子は、その日から、秋戸郷へ身を潜めて、もう尼院へは帰らなかった。

一羽の雁

一

九月の空も、海の碧も、澄みきった秋の昼だった。

下総の寒川べりを、うろついている旅の商人風の男がある。橋の口を、幾度か行ったり来たりしていた。

七月頃から、橋口には、交代で見張りの武士が立ち始めている。――伊豆半島とこの地方とは、海を隔てているとはいえ、晴れた日には、鮮らかに見えもする対岸にある。

当然、伊豆に揚がった波濤は、ここの岸へも搏って来た。

下総、上総、安房、それぞれ派別を明らかにし始めた。いや、自身はその何れにも偏せず、自重しているつもりでも、もう環境がゆるさないのである。

(某は、源氏くさい)

(誰と誰は、どうなっても、平家方をうごくまい)

そう人々が色別けを押しつけて観るし、また、頼朝の旗挙げなるものが、ここではその実力以上に思われていたので「源氏方」という言葉が、ここでは平家方と対立して、通り言葉に使われていた。

頼朝の人間的評価も、地元の伊豆よりは、この地方のほうが、より高く買われていた。彼が伊東祐親入道のむすめと恋をしたり、配所へ亀の前をひき入れたり、北条家の政子とも同様に浮名をながしたり――そんな半面的な些事がいちいち伝わっていないだけでも、地元の人々よりは、遥かに、尊敬を持たれていた。