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みなもとよりとも

源頼朝

吉川 英治

「朝日新聞」1940(昭和15)年1月~10月

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 306,118 字 · 613 页

青空文庫

船出

一

石橋山の味方の惨敗は、もうつぶさに聞いていた。

「――お生命さえあれば」

と、今はただ、それのみが一縷の望みであった。

そして、心の底に、

「うかとは、死ぬまい」

と、固く自分を戒めていた。

良人の頼朝が果てたら、父も死ぬであろう、兄も斬死にするであろう。――当然、彼女も、心の支度は、疾く決めている。

それだけに、軽はずみを戒めていた。良人の思慮ふかい性格をよく知っているだけに、良人も最後の最後までは、生きつづけるであろう事を――固く信じていた。

「政子様よ。夜露はからだに毒。もう屋の内へおはいりなされ。こよいは、お寝みなされたがよい」

走り湯の法音比丘尼は、時折、縁に出て来て、声をかけた。

「はい。……はい」

庭垣の隅の方から、政子の返辞は素直に聞えてくる。けれど、室内へ戻って来る様子はなかった。

「……ご無理もない」

と、法音尼は、草むらの中に佇んで、じっと、天の一方を見ている政子のすがたへ、遠くから掌を合せた。

その人の影へ、掌を合せて念じるしか――老尼には政子を慰めることばもないのである。

更けて行った。

伊豆の海は、戦のせいか、漁火の影もない。