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みなもとよりとも
源頼朝
吉川 英治
「朝日新聞」1940(昭和15)年1月~10月
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 306,118 字 · 613 页
名馬
一
などと真しやかなうわさが頻々として伝えられ、その噂のうちに義経の事は、義経という名さえ語られていなかった。
鎌倉殿の弟君といえば、誰もすぐ蒲の殿かと合点する。その範頼のあることを知っても、義経という弟もあることは、まだ世間に知る者は稀だった。
名馬
一
あれほど義経に対しては、思慮をめぐらし過ぎるほど気を労う頼朝も、同じ弟でありながら、範頼に対しては、さほどでもない。
「心して参れよ。陣中は、何よりも軍律を厳に。賞罰をあきらかに」
「はい」
「このたびの一戦こそ、大事なうちでも大事な戦ぞ。ひとり源家の興亡だけにとどまらない。天下はここで分れてゆく」
「よう心得ております」
「その心得顔が、まちがいの因だ。常々のごとき心構えではならぬ」
「はい」
「義仲もさる者ぞ。侮るな。――木曾、北陸の猛者が相手であるぞ」
「張合いがあります。死にばえがございます。決してお名はけがしません」
いよいよ義仲討伐の軍勢が出発という朝方である。
頼朝は、華やかに扮装った範頼を側近く招いて、門出の神酒をくみかわし、その後で、こんな事を云いきかせていた。
「そちを瀬田口の総大将に、義経を宇治川のほうの攻め口の大将に命じたのも、頼朝の心のあるところ、不覚をとるなよ」