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みなもとよりとも

源頼朝

吉川 英治

「朝日新聞」1940(昭和15)年1月~10月

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 306,118 字 · 613 页

青空文庫

九

「勝ち軍であれ」

と、祷る気もちが、いっぱいであった。二十年来の信仰と修養を心の柱に、じっと、静かな面を保っていたが、ひとりでに、歯の根が緊って来るのをどうしようもなかった。

「まだ、火の手は揚がらぬか。……まだ、煙も見えぬか」

時折、彼が仰向いて、そう声をかける空には、新平太という厩舎人が、大木の梢に坐って、物見をしていた。

九

首尾よく、山木兼隆を討ち取ったら、直ちに目代屋敷から火の手をあげる――

火の手を見たら、味方の勝ち戦と思われるようにとは、時政が立つ前に、つがえて行った約束なのである。

が、火の手は見えない。

宵の月も高くなって、時刻はあれからだいぶ経つが、いっこう世間は静かないつもの夏の夜に過ぎない。待ちもせぬ時鳥などが啼くだけだった。

「はてな」

遂に、頼朝も身をゆるがし、堂の縁を降りると、焦躁に駆られたその足を、つかつかと彼方の大木の下まで運んで行った。

梢の上を見上げて、また、

「新平太」

「はい」

「まだ火の手は見えぬか」

「見えません」

「よく見い、月光で分らぬのではないか」

「いいえ、何の気も」

頼朝は、大樹の下に、沈黙していた。新平太が上で身うごきするたび、梢の雫が彼の鎧の肩へキラキラと落ちた。