轻松读懂日语经典作品
ja-reading.com
轻松读懂日语,轻松阅读日语。在线阅读日语经典作品。支持在阅读过程中显示假名、查询生词、翻译句子。
みなもとよりとも
源頼朝
吉川 英治
「朝日新聞」1940(昭和15)年1月~10月
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 306,118 字 · 613 页
「政子どのの首は、いつご持参あるのか」
「親として知らぬはずはあるまいが」
「それで、北条家の御館といわれるのか、武門の親としてすむのか」
「大たわけ殿。まだ、老いぼれる年でもあるまいが」
あらゆる辱めと、猛烈な催促が、彼を責め立てたが、
「この方においても、極力、探し索めておりますゆえ」
とか、
「もうしばしのご猶予を」
とか。――そして相かわらず、山木家の親類の前に坐れば、身分も恥もすてて、低頭するばかりだし、懸合いの使者を迎えれば、いんぎん辞を尽して、謝るばかりだった。
時には、
「生きるも辛し、死にもならず、かくまでの苦患に虐まるるとは、いかなる悪業のむくいでおざろうか」
と、落涙を見せた事もあった。
――めっきりと窶れた。
――白髪がふえた。
躍起となって、北条家の無能無責任を憤っている山木家の人々すら、近頃は彼を見れば、ふと、そんな同情もわくほどだった。
事実、北条家では、以来、箱根伊豆の山々は元より、近国までも、手分けして、政子の行方をさがしてはいた。
十人二十人と、一組ずつにして、のべつ山狩のように、郎党たちを、歩かせてはいた。
が、何の手懸りも齎しては来ないのであった。