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みなもとよりとも

源頼朝

吉川 英治

「朝日新聞」1940(昭和15)年1月~10月

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 306,118 字 · 613 页

青空文庫

と、誹謗した。

朝廷の臣も、民衆も、たちまちその声に和して、六波羅殿の無情を怨むので、浄海入道は、それに打って返す手もなく沈黙してしまった。云い負かされた形で終ってしまった。

死んだ重盛も、よく父の入道を云い負かしたが、清盛はまったく口下手であった。彼はいつも宣伝戦で打負かされる男だった。そのために、ついに、自分の正しさが理論で受けいれられなくなると、

「やってしまえ」

と、六波羅の精兵をさし向けてもの云わすので、庶民の同情は少ないし、朝廷の百官からも、

「暴虐なる人」

と眉をひそめられ、そのたびに陰口されるのが、彼の私的生活だった。

六波羅いったいの経営や西八条の別荘の華麗厖大などは、云うにも足りないとしていたが、まず政権の専横ぶりだの、一門を以て高位高官の位置を独占しているのが、何といっても、人のそねみを大きく買っていた。

もっとも藤原氏もその全盛期には、思いきった閥族の独占をやったが、入道は同時に、兵馬の権をも把握していたから、その勢いは到底、

この世をばわが世とぞおもふ望月の――

と、歌った藤原道長などの比較ではなかった。

彼の家弟経盛は参議に、頼盛は権大納言に、子重盛は近衛大将までに――云うも煩わしいが、公卿に上った者十余名、殿上人と称される人三十名の余をこえ、平氏一門の受領国は三十余ヵ国。