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みなもとよりとも
源頼朝
吉川 英治
「朝日新聞」1940(昭和15)年1月~10月
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 306,118 字 · 613 页
「あっ。火っ、火の手が」
梢の上から新平太が、われを忘れたように叫ぶと、
「――おおう」
頼朝のひとみも、それを見ていた。
「殿っ。火の手が……火の手が……あがりました」
狂喜の余り梢の上の声は泣いているのだった。――いつまでも、降りて来ようともしないのである。
頼朝もまた、石のように、じっと、飽かずに空の火の粉を仰いでいた。けれど彼は、さっきからの焦躁と反対に、至って無表情に返っていた。ただ次第に烈々と火色を増してくる空に、その眸は、爛として、同じ光を湛えているだけだった。
「……よしっ」
そういうと、彼は、暗い山笹の小径をひろって、黙々と、館のほうへ降りて行った。あわてて木を辷り降りて来た新平太は、その影を後から追って駈け出していた。
石橋山
一
自分では、かたく自分を、
(落ち着いている。どこも、ふだんと異なる節はない)
と、信じているが、きのうの事を今日顧みても、思い出せない事のみが多いのである。
十七日の夜から、ここ七日ばかりというもの、頼朝はそうであった。
頼朝がようやく、
(われまだ死なず)
と、自分の生命を、自分の中の静かな泉に映して、覗き見るように、我という身心地を意識したのは、二十三日の夜から二十四日の明け方に亙る真っ暗な洞窟にじっと坐っていた間のことであった。