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みなもとよりとも
源頼朝
吉川 英治
「朝日新聞」1940(昭和15)年1月~10月
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 306,118 字 · 613 页
乳母の子
一
と、あっさりして、妻の政子に向っては、
「これが、いつぞや其女にもはなした九郎じゃ。目をかけてやれよ」
とのみ云って、義経がひそかに胸に湛えていた骨肉らしい親しみや、嫂らしいことばには甘えることができなかった。
乳母の子
一
するとまた、実平がそれへ来て頼朝の方へ手をつかえながら訊ねた。
「滝口の老母へすでにお目通りの儀を、おゆるしなされましたか。……唯今、訪れて見えましたが」
「お。囚人経俊の母か。……会うてやると云って、庭へ通せ」
頼朝は、目の前にいる義経よりも、むしろその方へ遽に心を惹かれたふうであった。
実平が退がると、彼も立って、席を更え、庭へ曳かれて来る者を待ちかまえた。それを機に政子は奥へ入ってしまうし、手持不沙汰になった義経は、兄の傍らに坐って、侍臣のごとく控えていた。
「……おう、佐殿」
よろめくように庭先へ来て、へたと坐りくずれた老母があった。それは頼朝が幼い頃の乳母であった。
しかし、頼朝はなつかしそうな顔も見せず、かえって、はたと厳しい眼をして、老母が昔のごとく自分へ馴々しくものを云うのを防ぐかのような威厳を示した。
「……あ、あ」
その容子に、とりつく島もなくなって、老母は階下に泣き伏した。