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みなもとよりとも
源頼朝
吉川 英治
「朝日新聞」1940(昭和15)年1月~10月
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 306,118 字 · 613 页
「老尼さま。日金の牧のお萱さんが見えましたが」
そこへ一人の尼弟子が告げに来た。法音は、きょうは何か、これ以上、政子へ誡える気も挫けたように、それを機に力なく起って、
「姫さまへ、お目にかかりに来たのであろ。庭口からこれへ」
そう云い残して、自分は冷たい尼院の奥へかくれた。
萱は、日金の牧場の主の妻であるが、以前は北条家に仕えていた女だった。三島や五日市などへ出るたびには、その後もよく館へ立寄って、前の朋輩たちとも親しくしていた。
「萱でござります。おかわりもございませぬか」
やがて畏る畏る庭へ来て屈まった女を見ると、政子は、今までの顔いろとは違って、待ちかねていたかのように、
「おう萱か。十日余りも見えないので、案じていました。遠慮はない。そこへおかけ」
と、縁の端をすすめた。
七
萱は、地に蹲ったまま、
「ここには、姫様のほか、誰もおりませぬか」
と、見まわした。
政子も、あたりを見て、
「なんじゃ?」
声をひそめた。
萱は、すばやく近づいて、政子の手へ、何か渡した。そして、
「お館さまからのお文です」
と囁いて、またすぐ、以前のように地へもどって、手をつかえていた。