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みなもとよりとも

源頼朝

吉川 英治

「朝日新聞」1940(昭和15)年1月~10月

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 306,118 字 · 613 页

青空文庫

「萱。……ここは何処」

「湯河原の北山でございまする。この下が、吉浜、鍛冶屋郷」

「では、もう少し」

と、また歩いた。

「政子様。もう行けませぬ。……この先は断り立てたような崖ですから」

「そこの磯は」

「真鶴です。土肥郷の真鶴でございます」

「…………」

政子は、黙ってうなずきながら、露や草の実に汚れた身を、そのまま、仆れている朽木へ腰かけて、もう明け近い海面に向けていた。

磯を打つ波音のほか何の物音も聞えなかった。安房、上総の彼方も、雲か霧か海か、けじめもなかった。

――が、いつとはなく、それが水と空と、雲とにわかれて見えて来た。渺として、ただ霧のみであった海面にも、チカッと、黄色の光が刎ねた。

「萱! ……」

政子は立って、にわかに眼をいっぱいに働かせた。

「見えぬか。……見えぬか。……殿のお舟が、今朝のお舟立ちが」

「見えませぬ。何も」

「……あれは?」

「磯辺の巌です」

遠い一連の山影は、上総、安房の半島である。そのあたりから大いなる太陽の端が真っ赤に昇りかけた。

刻、刻、見ているうちに、陽は半島の上に離れた。海はいちめん燦々と揺れた。その輝く海波の沖に――ああすでに沖の方だったが、政子の眸に、一点、黒く見えたものがあった。