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しんらん

親鸞

吉川 英治

「名古屋新聞」1934(昭和9)年9月28日~1935(昭和10)年8月9日、1936(昭和11)年1月19日~8月<br>「台湾日日新報 夕刊」1934(昭和9)年9月30日~1935(昭和10)年8月12日、1936(昭和11)年1月7日~8月4日<br>「京城日報」1934(昭和9)年9月~1935(昭和10)年8月、1936(昭和11)年1月10日~8月<br>「神戸新聞」1936(昭和11)年1月5日~8月6日<br>「福日新聞」「北海タイムス」1935(昭和10)年9月~1936(昭和11)年8月

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 566,138 字 · 1127 页

青空文庫

――しかし、六日目の朝には、そのすがたもついに城内には見えなかった。

城主の失踪! 備前児島の城は、一時、城下城内ともに、覆るような騒ぎであった。――四郎高綱の消息はそれきり分らなくなってしまったのである。

――だがやがて、一ヵ月ほど経って、誰からともなくこういう噂が備前をはじめ中国へ伝わってきた。

(さすがは近江源三秀義の子四郎高綱ほどあって、怒りもするが思い切ったあきらめもする。頼朝の不信は責めたが、卒然と何か悟って、中国七州を弊履のごとく捨ててしまい、先ごろから高野へ入って出家しているそうじゃ……。何といさぎよい、侍らしいやり口ではないか)――と。

四

世間ではそれを、

「心地よいことだ」と噂したが、城主を失った家臣と一族の人々は、

「すわ」と、あわてて、高綱が上ったという高野へさして走せつけた。四郎高綱は、そこにいた。

しかしもう先ごろの高綱ではなかった。剃髪して、高野行人の一人となっている沙門高綱であった。家来たちが、その姿を見て、

「あまりといえば……」と、恨みまじりに嘆き合うと、高綱は、彼らのそうして嘆くことさえ、今ではおかしく見えるように、