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しんらん

親鸞

吉川 英治

「名古屋新聞」1934(昭和9)年9月28日~1935(昭和10)年8月9日、1936(昭和11)年1月19日~8月<br>「台湾日日新報 夕刊」1934(昭和9)年9月30日~1935(昭和10)年8月12日、1936(昭和11)年1月7日~8月4日<br>「京城日報」1934(昭和9)年9月~1935(昭和10)年8月、1936(昭和11)年1月10日~8月<br>「神戸新聞」1936(昭和11)年1月5日~8月6日<br>「福日新聞」「北海タイムス」1935(昭和10)年9月~1936(昭和11)年8月

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 566,138 字 · 1127 页

青空文庫

十

範宴はすずやかにいって退けた。ことばの底には、人を打つ熱があった。彼は、僧の禁慾がいかに苦しいものか、自分にとって尊いものか、現在の自分に比べても余りに分りすぎている。彼は、師の弁護をするという気持よりも、いつか自分の行の深刻な苦悩に対して、思わず涙を流していっているのであった。

十

弥陀は、人間になし難いことを強いた。五戒の約束がそれである。

求法の僧衆が、最も苦しみ闘うのは、そのうちでも「女色禁」の一戒であった。女に対して、眼をつぶることは、生れながらの盲人でさえもなし難い。

肉体の意慾を、押しふせ、押しふせ、ある年月までの行を加えてしまうまでは、たいがいな僧門の若者は、この一戒だけにも、やぶれてしまう。

しかも、この至難な行をのりこえて、聖とか、高僧とかいわれるほどの人は、そのほとんどが、ふつうの人以上に、絶倫な体力や精根の持ち主であるので、その行のくるしいことも、人以上なものである。それはちょうど、一刻、一日ごとに、血まみれな心になって磨いてゆく珠玉にひとしい。磨けば磨いてゆくほど愛着のたかまるかわりに、ひとたび手から落してしまえば、十年の行も、二十年の結晶も、みじんに砕けて、その人の求法生活は、跡かたもないものになる。