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しんらん

親鸞

吉川 英治

「名古屋新聞」1934(昭和9)年9月28日~1935(昭和10)年8月9日、1936(昭和11)年1月19日~8月<br>「台湾日日新報 夕刊」1934(昭和9)年9月30日~1935(昭和10)年8月12日、1936(昭和11)年1月7日~8月4日<br>「京城日報」1934(昭和9)年9月~1935(昭和10)年8月、1936(昭和11)年1月10日~8月<br>「神戸新聞」1936(昭和11)年1月5日~8月6日<br>「福日新聞」「北海タイムス」1935(昭和10)年9月~1936(昭和11)年8月

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 566,138 字 · 1127 页

青空文庫

四

四

「待てっ、待たんかっ」警吏は忌々しげに喚いて追いつづけてゆく。けれど四、五町も駈けると彼自身がそうしてまで捕えるほどの者かどうかを疑って舌打ちを鳴らした。

「盗賊ではないらしい、また、公卿の女部屋へ忍んだ女犯僧だろう、そんな者を捕まえていた日には限りがない」警吏は額の汗を、手につかみ忘れている法衣の片袖でこすった。そして汚い物でも投げうつように傍らの流れへ向って捨てようとしたが、すぐその崖の上から凄まじい滝水のように鳴って落ちる琵琶の音に気がついて、

「誰だっ、今ごろそんな所で」と仰向いて呶鳴った。

しかし、琵琶の主は答えようはずもない、その音を聞けばわかるように身も魂も四絃の中に打ちこんでいて、虚空の音が彼か、彼が虚空の音か、その差別をつけることは至難であるほどな存在であった。

「ははあ……例の峰阿弥法師がまた独り稽古をしているのだな、あいつも変り者だ、銭を与えても嫌だといえばどんな目にあわせても弾かないし、そうかと思うと、誰も聞いていない真夜中の山に入ってあの通り独りで弾いて独りで夜を明かしていたがる」何の罪科もあるまいに、警吏はその琵琶の音のあまりに楽しげなのが嫉ましくでもなったか、おおウい――と声をあげて再三呼ばわるのに、いっこう答えがないので、石を拾って松林の丘を見上げながら抛り投げた。