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しんらん
親鸞
吉川 英治
「名古屋新聞」1934(昭和9)年9月28日~1935(昭和10)年8月9日、1936(昭和11)年1月19日~8月<br>「台湾日日新報 夕刊」1934(昭和9)年9月30日~1935(昭和10)年8月12日、1936(昭和11)年1月7日~8月4日<br>「京城日報」1934(昭和9)年9月~1935(昭和10)年8月、1936(昭和11)年1月10日~8月<br>「神戸新聞」1936(昭和11)年1月5日~8月6日<br>「福日新聞」「北海タイムス」1935(昭和10)年9月~1936(昭和11)年8月
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 566,138 字 · 1127 页
(はてな?)と、人々の視る眼がようやくちがってきたところへ、その老母が病んで逝去ると、生信房のなげきは傍目にも痛々しいほどで、幾日も食を断って、母の墓掃に余念なく暮している様子を見、
(いよいよ本ものだ)と、彼の今日を、世間で認めてきたのであった。そして同時に、
(いったい、あのすごい悪党の頭領が、どうしてあんな人間に生れ変ったのか?)という疑問が人々の胸にのぼりだんだん彼に今日までの経過を糺す者があって、その結果、親鸞上人に師事しているということがわかると、(そういえば、近ごろ、信州に草庵をむすんで、時折、下野の辺りまで布教に来る高徳なお上人があると聞いているが、そのお方ではあるまいか)と伝え合う者があって、やがてその評判が、常陸国真壁の代官小島武弘の耳へも入った。
二
また常陸の下妻という土地には、そのほかにも念仏宗には浅からぬ縁故がある。
それは、親鸞の同門の――法然上人随身のひとりである熊谷蓮生房の親友宇都宮頼綱もその地方の豪族であった。――そしてその頼綱はまた、蓮生房のすすめで、早くから念仏一道に帰依して、名も実心房といっている。
なお、その実心房以外に、稲田九郎頼重とか、笠間長門守時朝などという関東の武門において名のある人々のうちにも、吉水禅房の帰依者が少なくないので、