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しんらん
親鸞
吉川 英治
「名古屋新聞」1934(昭和9)年9月28日~1935(昭和10)年8月9日、1936(昭和11)年1月19日~8月<br>「台湾日日新報 夕刊」1934(昭和9)年9月30日~1935(昭和10)年8月12日、1936(昭和11)年1月7日~8月4日<br>「京城日報」1934(昭和9)年9月~1935(昭和10)年8月、1936(昭和11)年1月10日~8月<br>「神戸新聞」1936(昭和11)年1月5日~8月6日<br>「福日新聞」「北海タイムス」1935(昭和10)年9月~1936(昭和11)年8月
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 566,138 字 · 1127 页
……その余のことすべて、今となっては、詫言もない、五十になって、弁円は初めて、おん身を知り、自分の愚鈍を知り申した。――迷いの夢がさめたとは、このことでござろう。ゆるされい。親鸞どの、このとおり手をつかえ……弁円が初めて、おん身の足もとにこう手をつかえて、詫び入るのだ。……どうか、今日までの大罪をゆるしてくれ」
大地へ顔を伏せて、弁円は嗚咽していった。
九
親鸞は慰めるに困ったように、縁を下りて、なお慟哭してやまない弁円を、いたわった。
「なんの……なにを嘆かれることがあろう。――弁円どの、おん身の今のことばは、あまりにこの親鸞を高く見過ぎている。親鸞とても、もう四十九になるが、今もって、真俗二諦のあいだに、多分な迷いを抱いて、一心の帰教する所は、決して定まったとは申されぬ。ともすれば、愛慾の広海に溺れ、ともすればまた、名利の大山に踏み迷っている凡夫なのじゃ、聖者などとは、滅相もない過賞、幼なじみのおん身にいわれては、この愚禿こそ、穴にも入りたい」
「親鸞どの」弁円は、しかと、その人の手をにぎりしめて、
「幼少から、これほどのおん身を、友として持ちながら、なぜ弁円は、早くからおん身のその真実と徳に触れることができなかったであろうか。