轻松读懂日语经典作品
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しんらん
親鸞
吉川 英治
「名古屋新聞」1934(昭和9)年9月28日~1935(昭和10)年8月9日、1936(昭和11)年1月19日~8月<br>「台湾日日新報 夕刊」1934(昭和9)年9月30日~1935(昭和10)年8月12日、1936(昭和11)年1月7日~8月4日<br>「京城日報」1934(昭和9)年9月~1935(昭和10)年8月、1936(昭和11)年1月10日~8月<br>「神戸新聞」1936(昭和11)年1月5日~8月6日<br>「福日新聞」「北海タイムス」1935(昭和10)年9月~1936(昭和11)年8月
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 566,138 字 · 1127 页
いるのだった。
「大丈夫じゃ」父みずからが、こう、折紙をつけていた。
けれど――やがて、翌年になった。まる一年の誕生日がくる。かぞえ年では、二歳になったのだ。夏もすぎ、秋にもなった。
ところが、それにもかかわらず、十八公麿はまだ、ものらしい言を唇からもらしたことがない。
乳母は、ようやく不安らしい眉をひそめて、侍従介へ、
「和子さまは、やはり、唖でいらっしゃるかもしれません」そっと、洩らしたというし、父の有範も、
「よいわ、五体さえ、そろうていれば」と、かなしい諦めをもちかけて、妻に気を落させまいとした。誰ともなく、出入りする雑人のあいだにも、
「日野のお館に生れた嬰児は、唖子じゃそうな」と、噂された。
母性の人には、それが、冷たく聞えた。彼女もまた、そう信じて、
「なんの因果」と、悲しみ沈んだが、子のない不幸をなげいて、如意輪観世音に、
(どうぞ、夫婦に子を)と、祈願をこめたことを忘れて、授かった珠に、わずかな、瑕があったからというて、不平をいうのは慾のふかさというものであると思った。
ことには、自分の血液というものも考えだされた。源家の戦人である祖先たちは、どれほど、この世に修羅を作ったかしれない。