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しんらん

親鸞

吉川 英治

「名古屋新聞」1934(昭和9)年9月28日~1935(昭和10)年8月9日、1936(昭和11)年1月19日~8月<br>「台湾日日新報 夕刊」1934(昭和9)年9月30日~1935(昭和10)年8月12日、1936(昭和11)年1月7日~8月4日<br>「京城日報」1934(昭和9)年9月~1935(昭和10)年8月、1936(昭和11)年1月10日~8月<br>「神戸新聞」1936(昭和11)年1月5日~8月6日<br>「福日新聞」「北海タイムス」1935(昭和10)年9月~1936(昭和11)年8月

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 566,138 字 · 1127 页

青空文庫

二

しかし、謎は謎のまま、幾日かつい過ぎた。そういう詮議だてさえしている遑のないほど現在の綽空は、吉水の法門がその日その日の心の梁であった、張りつめていた。

その日は、どういうこともなく、信徒たちの集まりもなく、師の法然上人も不在でありするので、まだ陽の明るいうちに、めずらしく岡崎の草庵へ綽空は帰ってきたのである。

すると、草庵に近い松林の小径で、ひとりの被衣の女に行き会った。ちらと、樹の間にそれを見たとたんに、綽空は、どきっと、妙なものに胸をつかれた。

すぐ、常に抱いている謎へ、

(あの女だ)と、いう囁きがのぼって、何か犯している罪に耳でも熱くなるような動悸が打ってくる。

そういう軽い狼狽を、綽空は、その女ばかりでなく往来でゆき会う女性にもよく覚えるのだった。その度ごとに彼は、自分の道念の未熟さを悲しむのであるが、二十年の難行道も、新しく享けている易行道の法の慈雨にも、これだけはどうにもならないものを感じるのである。そういう鍛えのある自分と、女にときめきを覚えさせられる刹那の自分とは、まったくべつな者のようにしか思えなかった。

(もし……)と、よほど、彼は声をかけてみようと思った。