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しんらん

親鸞

吉川 英治

「名古屋新聞」1934(昭和9)年9月28日~1935(昭和10)年8月9日、1936(昭和11)年1月19日~8月<br>「台湾日日新報 夕刊」1934(昭和9)年9月30日~1935(昭和10)年8月12日、1936(昭和11)年1月7日~8月4日<br>「京城日報」1934(昭和9)年9月~1935(昭和10)年8月、1936(昭和11)年1月10日~8月<br>「神戸新聞」1936(昭和11)年1月5日~8月6日<br>「福日新聞」「北海タイムス」1935(昭和10)年9月~1936(昭和11)年8月

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 566,138 字 · 1127 页

青空文庫

北面乱星

一

北面乱星

一

草の育つ夜の雨であった。乳のようにしとしとと蔀にしたたる雨だれの宵――

範綱は、すこし疲れた筆をおいて、燭の丁字を剪った。どこからか入る濡れた風には若葉のにおいがして、この雨上りの後に来る初夏が思われる。

「はやいの――。もう一年になる」机に、肱をやすめて、範綱は弟の死を憶い回した。

有範の世を去ったのが、ちょうど去年の五月である。それから間もなく、二人の遺子と、若後家とを、この六条の家にひき取ったが、自分にそれだけの生活力がにわかに増したわけではないので、範綱は、院のお手当の他に、何か収入を計らなければならなかった。色紙や懐紙に歌を書いたとて、それは足しにもならないし、大きな寺院から写経の仕事をひそかにもらって、筆耕に等しい夜業をしたりしていた。

だが、それも倦む。倦むと時々、

「時勢が時勢なら――」と、平家の世をのろわしく思うてもみるが、結局、無力なものの愚痴と自嘲して、子どもの顔でも見て忘れようと思うのであった。今も、

「……もう寝たか」自分の室を出て、渡り廊下をこえた一棟のうちをのぞくと、

「おお、入らせられませ」若後家の吉光の前は、帳の蔭に、添寝して寝かしつけていた朝麿のそばからそっと起きてきて、敷物をすすめた。